幼い頃に住んでいたマンションのエントランスには金木犀が植えてあって、肌寒くなると金木犀の香りがしました。
「いい香りだね」と母に言った時に「キンモクセイだよ」と教えてくれたことが幼子心に印象的で、エントランスのプレートがカタカナで「キンモクセイ」だったことすら覚えています。それから何年ものあいだ、金木犀の香りは私と母が笑顔で交わしたささやかな会話と、穏やかな日々の象徴のようでした。
秋のちいさい幸せ
なんとなく金木犀の香りが後ろ盾のような気持ちになって、秋はそれなりに淡々と働けました。大変なこともあったけれど、自分でバランスを取ることを意識できたことも嬉しい収穫です。「収穫」という言葉は、本当に秋によく似合う。
2023年の手帳としてモレスキンのウィークリーを買い、恋人が喜ぶような夕飯の材料を買い、なんだかあてもなくショッピングモールをうろうろしたり。とりわけビッグニュースというような過ごし方ではないのですが、金木犀の思い出のようにささやかなしあわせがほのかに続いていました。
加えて仕事に関しては、逃げずに立ち向かえたことがあってちょっぴり嬉しい気持ちに。「乗り越える」という選択を、強制されたり逃げ道がなくて選ぶわけじゃなくて自分の意思で選べたことが嬉しかったです。前向きな選択ができた瞬間って、いいよね。
今月は後半にかけて凝り固まっていた思考が少しずつ柔らかくなって、新たな余白がうまれたことを実感できました。無理にでも切り替える時間って必要なんですよね。忘れないように生きなければ。
金木犀のおかげ
たまたまなのか、そういうものなのか、私が20歳を超えるまで金木犀ってあまり話題に登りませんでした。
しかし大人になるにつれ、徐々に「金木犀の香りがしはじめた」ことを季節の変わり目として挨拶がわりに言及する人と出会う機会が増えるようになりました。
金木犀が大人にしかわからない秘密の香りなのか、ただ単純に流行っていったのか。もしくは、大人になるにつれて似たような人と惹かれあっているのかも。
今は金木犀にまつわるプロダクトが市場に出るほど人気になって、話題にする人もすごく増えました。きっと私と母の他愛もない思い出のように、みんなにも各々の思い出があるのかな。
なぜか心細くなる秋に、つい香りに心かき乱されてしまう季節に、金木犀に救いを求めているような気がして。ノスタルジックの象徴が、商業に巻き込まれていくのはいささか寂しさも感じるのだけど、これだけ多くの人が金木犀に「特別な想い」を持っていたのだと知ると嬉しくなるような気もします。
だから私はこの秋、金木犀を求めて少し外に出るようにしてみました。家からできるような執筆作業を少し離れたカフェでやってみたり、あいた時間に外に出る機会を増やしてみたり。
味方が増えたような気持ちで、凛と過ごせた気がするんです。
冬もまた、楽しみなことがたくさん。ある時をさかいに楽しみになったクリスマスとか、あたたかい食事を家族で食べることとか。向き合う中で思ったことを綴っていきたいと思います。
nana
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